瞬時に首を傾けたリュウの顔を刃が掠める。
赤い筋が頬に走る。
だが意に介さずリュウは相手に向かい歩みを進める。
リュウの剣の届く範囲から逃げようと相手は後ろへ跳ぶ。
(読み通り!)
リュウは心の中で叫び、一気に進む。
左手で照準を定め、右手に持った剣を水平に構える。
「おおおっ!」
右足を、敷石を砕く勢いで踏み切る。
それに連動し、腰、背中、胸筋と捻る。
右腕に力の全てが淀みなく伝わる。
そして一気に剣を目標に向かって突く。
「甘いっ!」
渾身の突きが彼女に当たる瞬間、視界から姿が消える。
(なっ・・・!)
リュウが驚愕の表情を形作った時には、ヒカルは既にリュウの右横にまで移動していた。
(誘われたか・・・!)
視界の端に赤い髪を確認した時、リュウは後悔した。
(おそらく後ろに跳んだのは俺に追撃させる罠。)
リュウが高速で猛省しながら剣を凪ぐ。
(追撃する勢いを利用した突き。
その右片手突きの死角を移動。
移動後に繰り出されるであろう返しの凪ぎ。)
頭部を狙ったリュウの剣撃をヒカルはしゃがみ込んで回避する。
そしてしゃがんだ反動を利用し高く跳ぶ。
リュウは慌てて剣を振るったため体が流れている。
そして宙で剣を大上段に構えるヒカルの姿を見上げる。
(完全に読まれてたか・・・。)
何とか体勢を立て直し迎撃しようとするリュウにヒカルが落ちてくる。
勝利を確信した笑顔を浮かべている。
「Bye!」
ヒカルが叫びながら、言葉通り全体重を載せた一撃をリュウの頭に振り下ろした。
「がはっ。」
頭から血を撒き散らしながらリュウが倒れる。
数瞬遅れてヒカルが着地する。
着地の衝撃に耐え切れなかったのか、片膝をついて地面に刺した剣にもたれ掛かる。
荒い息を整えるかのように何度か深呼吸したあと、静かに立ち上がる。
そしてヒカルが剣を収めながら小さくガッツポーズを作る。
「かったー!」
一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手と歓声が周囲から巻き上がる。
「ありがとーっ!」
ヒカルが自分を応援してくれた人たちの声援に手を振り応える。
大騒ぎする観客人がヒカルに殺到する。
「ええっ!?」
狼狽するヒカルの声が周囲に響くが大勢の笑い声にかき消される。
(何の騒ぎだろう・・・コレは。)
リュウが自分の頭部にホイミをかけながら、この馬鹿騒ぎの状況をぼんやりと眺める。
ヒカルに群がり、遂には胴上げまで始めて喜び噎ぶ人たち。
天を仰いだり、地面に跪いたりしながら悲しむ人たち。
「はい!押さないでー押さないでー!順番だよー!」
レオナの座る席に狂喜しながら、半券を片手に駆け寄る人も多数見受けられる。
(レオナの後ろに見える数字は・・・。)
自分とヒカルの名前の下にそれぞれ×2.0と×6.7と書かれた看板を半目で見る。
「そうか・・・。なるほどね。」
回復の終わったリュウは両耳を塞いで溜息を吐く。
今まで見てきた不可思議な情景。
(それと、俺に泣き喚きながら詰め寄り罵声だか文句だかを垂れ
遠くから物をぶつけてくるこの連中。
これらから推理したところによるならば!)
怒鳴り声を上げたくなる。
が、この涙を流しながら胸倉を掴む少女を見て溜息を吐く。
(人の稽古で賭博してんじゃねえよー・・・。ばかー・・・。)
*****
「して誰が始めやがった?」
リュウは正座して頭を垂れるレオナに凄む。
「いや、えと、ね?」
極上の微笑みで誤魔化そうとするレオナ。
(いや、確かに可愛いが!)
「ね、じゃねえ。」
流されそうになる自分を無視し詰め寄る。
「いや、ほら。始めはさ、何人かの見物人が勝手に始めてたんだけど・・・。」
いつもどおりリュウとヒカルが稽古という名の戦闘を開始してから暫くして、
基本的に暇人で構成されているレーベ村民が当然の如く群がってきた。
既に昨日、一昨日と稽古は行われていたので、噂になっていたのだろう。
そして、そのうち数人がどっちに賭けるかという話になった。
「そのうち規模が大きくなってさ。」
観客の9割がその賭けに参加することになったそうだ。
(だから、あそこまでの馬鹿騒ぎに・・・。)
だが規模が大きくなってしまうと賭けの元締めがいなければ、
事後が面倒だと安易に予想された。
「だからレオナが胴元を引き受けた、と?」
えへへ、と照れた様に笑う。
「おかげでがっぽり。」
「待て。」
「・・・?」
レオナが瞳をぱちくりさせる。
「お、お前も賭けたんだよな?」
「うーん、いや確かにヒカルに賭けたけど。」
(ち、違うのかよ。)
レオナの返事に少し狼狽える。
その様子を察知したのかレオナが言葉を続ける。
「賭けというのは何事も胴元が得をするというシステムなんだよ?」
その分面倒だけどね、と笑う。
(いや、どうでもいい話だよな、うん・・・。)
「ねーねー、どれくらい?」
「これくらい。」
レオナが皮袋を二人の目の前に掲げる。
「う・・・お。」
「すごーい!」
その額にリュウは力の限り戸惑い、ヒカルは大喜びする。
「やっぱりオッズね。」
レオナがしたり顔で一人頷く。
見た目というものはかなり影響するらしく、それなりに手足の伸びているリュウと、
少女であるヒカルとでは、やはりリュウが有利に見えたのであろう。
「失礼な話だよねー。ヒカルの方が全然強いのに。」
「あははは。でも最近追い着かれ気味なんだよ?」
「うそ?」
「ほんと。お父さんからもう10本に1本は獲れるくらいになってるもん。」
「・・・ちなみにヒカルは?」
「10本に3本・・・かな。」
ゴロウは造刀の名手なだけではなく剣技に於いても常軌を逸している。
「あの人多分アリアハン最強の一人だよね。」
「まちがいないね。」
「親方の腕の話は置いとこうか。」
リュウが話を遮る。
「これはぼり過ぎだろ。」
「これでも普段より抑えたほうだよ?」
「いやいやいやいやいや。」
「いいじゃん、ファイトマネーとしてもらっとこーよ。」
レオナは猫なで声を上げる。
「そうだそうだー。もらっておこー。」
ヒカルも猫になる。
二対一。
分が悪い。
「って待て。」
リュウに猫のように絡みつく二人の行動全てを無視しながらレオナを睨む。
「にゃ?」
「にゃじゃなくて。普段ってなんだ?」
「んー?」
「他にも頻繁にこうやって稼いで?」
挙動不審になる。
「おーい。」
「う〜ん・・・。」
「唸るな。」
「んー、ん、ん、んんるらるららー♪」
「歌うな。」
鼻歌も否定されたレオナは、口笛を吹いて誤魔化そうとし唇を尖らせた。
「諦めな。」
が、リュウは先んじてレオナの肩に手を置く。
レオナは暫く笑顔のまま固まっていたが、突如眉毛を上げた。
「いいじゃん!娯楽の無いこの村に娯楽提供しているんだし!」
「逆切れかよ!」
「だって普段から皆暇しているんだよ?
だからちょっとくらい、ね?」
リュウにしな垂れかかる。
「あー・・・、いや、もうどうでもいいや。」
あっさりと篭絡される。
(はやっ!)
ゴールドを数えていたヒカルが心の中で驚く。
「てか、率先して取り仕切ってたの神父様だしー。」
「えぇっ!?」
教会公認の賭博。
しかも頻繁に。
「あー・・・、いいのか、おい。」
「誰も困ってないし、いいんじゃ?」
「でもすっごい稼いでおられますが。」
ヒカルが卓に積まれたゴールドを見せる。
「皆生活に困らない範囲内で賭けているはずだよ?」
泣きながら自分に詰め寄ってきた人を思い出し、首を捻る。
(あれが、生活に困らない範囲か・・・?)
「それに本当に困った人には教会から無償で貸すし。」
本末転倒だが一応教会らしく、救済もしているようだ。
「無償・・・貸す・・・。」
言葉に何かおかしな矛盾を感じたが気にしないことにした。
「今まで問題は無いんだな?」
「もちろん。」
リュウがヒカルと顔を見合わせる。
お互いに困った顔をしている。
「まあ、問題が無いんなら・・・。」
「うん、いい・・・よね?」
互いに眉尻を下げながらだが、納得する。
「それにしても。神父さんって何者だよ・・・。」
「大討伐の英傑。」
「お父さんと互角に勝負出来る人。」
レオナとヒカルが指を折りながら列挙する。
「あとなんだろうね。」
二人は腕を組み考え込む。
「あと、神父なのに俗物的な趣味が大好きですかな。」
「ああ、それそれ。」
リュウが三本目の指を折りながら同意する。
「あ・・・。」
(今の声は何処から・・・?)
(後ろから。)
(誰だ?)
レオナとヒカルは唖然としてリュウの頭上を見ている。
リュウの顔が蒼白になる。
「ほう、同意しましたか・・・。」
かつて、指を鳴らす音にこれほどまでに恐怖したことがあったであろうか。
片手で頭を掴まれて、リュウはそのまま静かに持ち上げられる。
なす術も無くその人物と対面する。
そこには仏の様な笑顔を浮かべた神父の顔があった。